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Profile
・HN★ しゅうちょん ・Occupation★ 大学院生 ・尊敬する人★ /ウォーレン・バフェット/ ジャック・ウェルチ/大前研一/岩瀬大輔/田伏勇太/中田英寿/ ・Favorites★ 映画/ 読書/ 洋楽(パンク、メロ) ・Movie★ 耳をすませば/Before Sunrise/ Kramer vs. Kramer/ COYOTE AUGLY/ LEON ・Music★ Spitz/ THE BEATLES/ Simple plan / westlife/ Pachelbelカノン/ Zebrahead/ Sum41 BOOKs 以前の記事
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コンチキの旅が終了の明くる朝。朝食を買いにホテルの外にでた。外はひんやりとしており、6時台だというのにもうビジネスマンらしき人が歩いている。ロンドンの中に身を投じ、その光景を見ているとそれがあまりにも当たり前になり過ぎて自分が外国にいる事を忘れそうになる。僕はホテル近くのスーパーに行き、リンゴとペットボトルの紅茶を購入後ホテルへ戻って帰国の準備をした。
12:05のフライトのため8:30過ぎにホテルを出た。遅めに帰国する数人の日本人に見送られた後日本から一緒に来た2人とこの旅で知り合ったKとの4人でヒースロー空港へ向かう。朝のアンダーグランドは日本並みに混雑しているようだった。結局来る電車があまりにも混雑していたため4人いっきに乗ることができず、二手に別れ僕はKと一緒に電車に乗りこんだ。 ヒースロー空港までの1時間弱、この旅を思い出していた。ツアーが始まり最初の3日間というのは慣れない環境のせいかとても長く感じていたものの、途中から加速しあっという間だった。本当に早かった。それはやっぱこの旅がそれだけ楽しかったからなんだと思う。コンチキの旅では外国のみんなとすっかり仲良くなったし、しょっちゅう声をかけてもらえるようになった。 この旅では色んな人と色んな事を話したけれど、やはりもっと英語を勉強しないとなと痛感した。第一に聞き取れてもその表現が何を表してるのかわからなかったり、また自分が考えている細かなニュアンスや表現の広さを伝えたいときに単純な英語だけでは限界があった。ノリだけの会話だけではやっぱ寂しい。そうこうしている内に電車は地下から外にでた。18日前の2月19日のロンドンへ来た時と同じように帰りのロンドンも晴れ晴れとしていた。ロンドンに来たのが昨日のようにさえ感じるのって不思議な感覚だ。 ヒースロー空港に着き、フライト時間が異なるKともさよならをしていよいよ日本へ帰国となった。20時間後中部国際空港へ着き、日本に帰ってきたー!コンチキも終わったんだな!との実感が沸々とわいてきた。フライト時間も合わせるとあっという間の20日間だったが、やっぱそれだけの時間を過ごしてきたんだなといった矛盾した思いが僕の中ででてきていた。 最後に。何人かのメンバーとは軽く衝突はあったもののお互い言いたいことを言えたし、みんな良い奴だった。旅のメンバーには恵まれたかな。ほとんど毎日飲みがあって楽しかったし、一緒に色んなところへ行ってそれを共有できたのも全部が良い思い出。みんな遠い地で離れ離れになってしまうけどこの旅での事は忘れない。 ありがとうみんな! ありがとうコンチキ! ![]() [2007年3月17日]
コンチキツアー最終日がやってきた。すでにエニョーと日本人を含む数人のメンバーがこのツアーを離れたと聞いたときは別れの言葉を言えなくて寂しい想いでいっぱいにだった。
またベトーとヴィクトリアがシャルル・ド・ゴール空港に行くということでコンチキバスは空港へ向かった。雨だった昨日とうって変わって外はカラッと晴れていて太陽の光が眩しくて綺麗だった。そんな太陽の光がよりベトーとの別れの寂しさを冗長させる。悲しみを抑えようと必死で他の事を考えた。そんなことを考えているうちについに空港へ到着し最後にベトーと握手をして別れを告げた。 ブラジルに住むベトー。日本とは正反対の位置にある国の友達に再び会う日はやってくるのだろうか。 「俺がブラジルで働いてるときって、しゅうちょんの国はまだ夜中なんだぜ?」 このようにベトーが言ったことを思い出す。 こんなことを言われると切なさが増すじゃないか。 空港を後にしたバスは再びロンドンへ向かった。バスの中も51名いたメンバーが40名ほどになっていた。 15時頃ロンドンへ着く。コンチキバスともこれでお別れ。 16日間お疲れ様と言った。 バスを降りた後、夕食まで時間があったのでビートルズのCDジャケで有名なアヴィーロードへSちゃんとWくんと向かった。ホテルから徒歩で簡単に行けると思ったものの1時間以上かかった。アヴィーロードは記念像などがあるものの普通の道。それでも観光客が多かったように思われる。そこへ向かうだでで疲れた僕らはホテルへ戻るときにはアンダーグランドを使った。 夕飯は日本食レストランだった。特に日本食が食べたいということじゃなかったんだけど、ロンドンの日本食というものが一体どんな味なのか、それと他の外国人が日本食を食べてどんな反応するのかを見たかったというのもあって参加した。しかし日本食レストランとは名ばかりでほとんどアジアン料理て感じ。アメリカやオーストラリアでも日本食レストランへ行ったんだけどそれよりひどい感じだった。僕はラーメンを頼んだものの、今まで食べたラーメンの中で最もまずい部類に入る。日本ではラーメンは音を立てて食べるんだよーと言ったら、ぜひ見せてくれということでテーブルのみんなが僕がラーメンを食べることに注目。自滅したぜぃ。他の外国の奴らも色んなものを頼んでいたけど口にあったり、合わなかったりとそれぞれで少しずつもらったけど中にはおいしいものもあった。 お腹もいっぱいになったところでホテル1Fのロンドンパブで軽く飲みながら最後の別れ。あまり長居すると余計悲しくなるというのもあってしばらく話した後別れの挨拶&記念撮影をして部屋に戻った。とうとうこの旅も終了。長かったような短かったようなよくわからない感情が入り混じった。
今朝はまたもやドラゴンボールを観ながらの朝食だった。このホテルのパンがやたらおいしい。そういえば、昨夜アンディと一緒に寝てたはずのリリアーナが今朝起きるといなくなっていた。いつ戻ったんだろう。昨夜は少しきつく当たりすぎたかもしれない。クリスが昨夜のことでまた謝ってきた。
コンチキも15日目となった。いよいよ明日このツアーも終わるが、その実感がまだなかった。この日はパリを自由行動。シャンゼリゼ通りを下りた僕らは凱旋門に向かった。 今日はエニューが居らず、ベトー、マーク、サラの4人でパリを回ることに。凱旋門で記念撮影を終えた後は昼のエッフェル塔を見にいった。 昼に見ると時代を感じるというより若干しょぼく見える。 その後徒歩でオルセー美術館へ向かった。途中、ダイアナ妃が亡くなったトンネルを通過。オルセーはモネ、ルノワール、セザンヌ、ゴッホ等有名なアーティストの作品を多数展示している非常に人気のある美術館。この美術館もかなり広い。マイペースで作品を観てたらいつの間にか他の3人とはぐれてしまった。でもやっぱ美術館は自分のペースでゆっくりと見たい。絵画、彫刻やその歴史の知識の事は来る前にネットで調べたくらいで無知なんだけど芸術作品といわれるもの、特に絵画というものはなんでこんなに見とれてしまうのだろう。言葉じゃ何て表現していいのか難しいが、飽きにくくその技巧に惚れてしまう。オルセーを離れる時、30分他の人を待っていたけど再会することはなかった。次にノートルダム大聖堂へ行くと言ってたのでそこへ向かった。 外はすっかり雨で、風邪も強く持参していた折り畳みの傘も壊れてしまう。もういいやと思い濡れたままノートルダム大聖堂へ着くとマークとサラと再会。結局一旦全員がはぐれたらしくベトーは未だにどこにいるのかわからないらしい。 次にまた違うチャーチに向かうということで、僕はパリの中心部へ行きたかったのでまた単独行動。 徒歩で、行こうかと思っていたが、疲れたのでメトロを利用した。オペラ駅で下車し、オペラの外観を見た後、ギャラリー・ラファイエット、プランタンをはじめ、パリの街を満喫。昼はその近くのカフェで甘いものとコーヒーを食べた。 甘いものをとると、すっかりまったりしてしまったせいかホテルへ戻ろうという気分になる。この時16時くらい。アンディもまだ帰ってきてないだろうな~と思って鼻歌交じりで部屋へ入るとシャワーを浴びる前のアンディがそこにいた。油断した。 何はともあれ、気を取り直して夜の一大イベント「ムーランルージュ」に備える。 ディナーを取りながらミュージカルやコメディーショウを楽しむ「ムーランルージュ」は正装必須。以前にも書いた通りそんなの持っていないからまた不安になったけど、シャツを着てて、ジーパンじゃなかったら大丈夫だった。ラッキーはスーツ着てたし女性陣はドレス等を着てたが。 ムーランルージュの雰囲気は最初こんなもんなんかな~といった感じだったが、どんどん盛り上がってきて最終的にはは来て良かった!と思った。かなりお勧め。 ムーランルージュを終わった後はすっかりテンション上がっていてそのままバーへ。 ムーランルージュに参加してなかった人達がすでにいてめでたく合流。ジントニックを頼んでまた踊る。バーがクラブと化してた。そこにスコットランドから来たという集団に出くわして、セルティックの中村俊介のネタですっかり意気投合。スコットランドの奴ら「ヘーイ!なぅかぁむ~ら!セェールティック!!!」 自分「ヤー!セルティック!!!シュンスケー!!!」 これだけで5分会話がもった。しかもこれしか言ってないのにビールまでおごられちゃって。 コニュニケーションは言語じゃなくてノリだな。というかスコットランドの人らが話す英語って全く聞き取れない。本当にわからなかった。この夜はいつにも増してみんなはじけてたように思う。 このバーには3時くらいまでいて、その後タクシーでホテルへ戻った。発音が悪かったせいか、それとも確信犯なのかタクシーがホテルの位置間違えたりとタクシー料金を倍とられたりと大変だった。クリスが「メルシー、メルシーボーク、 メルシーボーケ!!!、メルシー ファッカー!!」 と笑顔で言ってたのにひいた。やっぱ怖えーはこいつと思った瞬間だった。 ホテルに入ると今からまた飲むということで(バーでも言ってたけど)、何人かでクリスの部屋に。彼の部屋は一人部屋なのに2人部屋のうちらの部屋の3倍はある広い部屋だった。一体この差は・・・ これが最後やし朝まで飲むかと思ってたもののぐだぐだになった雰囲気に嫌気が差して、結局コップ取ってくると言って部屋へ戻って寝た。そして、また起こされそうに。しかしここはなんとかアンディが踏ん張ってくれたっぽい。助かった。 明日はとうとうみんなとお別れの日となる。 コンチキ14日目。いよいよ今日は今回のツアー最後の都市となるパリへ移動。リヨンからパリまでは約500kmほどあったが、それほど疲れなかった。この旅でずいぶん長距離移動に慣れたものだ。これまでの午前のバス移動では寝てることが多かったが今日はめずらしくずっと起きていた。これも残り少ないツアーを名残惜しいと思っているせいだろうか。昼に寄ったすっかり行き慣れたAUTOGRILL(ヨーロッパならどこにでもある)ではトイレの片方が掃除中のためトイレが男女共同になっていた。田舎ならまだしもドライブインで、しかも綺麗なトイレなのに男と女が一緒に列を成してるのはおもしろい。 その後またバスに揺られパリには14時くらいに到着。パリに入るとすぐにルーブル美術館を目指し1時間半の自由行動が設けられた。 「サモトラケのニケ」、「ミロのヴィーナス」、「モナ・リザ」等超有名な作品が置かれている。 また、ルーブル美術館はかなりの広さをほこっていて(とにかくばかでかい)、全部をゆっくり見るのには2~3日掛かるだろう。今回はとりあえず全体を見たかったのでざっとしか観れなかったが、次回訪れたときはもっと時間を取ってゆっくり観たい。 ルーブルを後にしホテルに向かった。部屋につきアンディと1時間ちょっと部屋でゆっくりし夕食。TVでドラゴンボールがやっていて(ドラゴンボール好きの)マークが嬉しそうに僕に訴えかけてきた。それじゃまるで僕がめちゃめちゃドラゴンボールファンみたい(まぁ、好きだが)。それにしてもみなで何日も旅をしているのだが、外国の人はやっぱ日本人の名前を覚えるのって苦労するみたい。マークに限っては僕の名前くらいしか覚えていないって言ってた(本当??…)。 夕食後はパリのナイトツアーに繰り出した。カルティエ、ヴィトン、ドルガバ等のブランド点がひしめき合うシャンゼリゼ通りは綺麗としか言えない。反面マリーアントワネットが処刑されたコンコルド広場に来ると微妙な気分になる。また凱旋門では全員シートベルトをして凱旋門の回りをバスでぐるぐる回るという奇怪な行動をした。その後はアンヴァリッド、マドレーヌ教会の側を通り、最後はエッフェル塔に行き着いた。エッフェル塔は321mで東京タワーより低く1800年代後半に建設されたものの回りが広場になってるせいか東京タワーより良く見える。夜のキラキラと光るエッフェル塔は本当に綺麗だった。エッフェル塔はゴンドラとエレベータを経て塔の一番上まで昇った。頂上は窓がなく手すりだけ。風邪がかなり強くこの時期は防寒していないと耐えられない。でも321mから眺める都会のパリは素晴らしかった。ホテルの部屋に戻るとすっかり夜中になっていて今夜もパーティが行われていた。先に部屋に戻り寝ているとまたあの連中、アンディー、スティーブ、クリス達がやってきていつもと同じように布団の上に乗っかられ起こされる。布団をかぶるとそれを剥ぎ取られ、 「へーい しゅうちょん!何寝てんだよ!起きろ!起きろ!」 何故か記念撮影。ちょっとムカっとした。あ、そういやそんときの写真まだもらってない。 そしてその嵐が去った後、アンディがそのまま残ったような気配があったけど、何かがおかしい。そうカップルになっていたリリアーナと一緒にベットでイチャついてる。とは言ってもこれまでも部屋でイチャついてたりしてたが、こんな寝る時間に、しかもさっきの乱入もあってむかついた むかついあ僕はいちゃついているアンディたちの写真を撮った(今思うと、最低だな自分・・・)。 アンディがそれに気付いたらしく、 アンディ「hey しゅうちょん!何するんだ?」 自分「はぁ? 写真撮ったんやけど、何か悪い?」 アンディ「・・・」 アンディ「しゅうちょん。さっきは悪かった。 スティーブたちの行動はまぢでバカだ。許してくれ。」 自分「・・・(これで何回目だろうと思う)」 リリアーナ「ねぇ、キャンディー持ってない?」 自分「持ってねーよ!(日本語)」 リリアーナ「キャンディー・・・」 自分「持ってない。」 リリアーナ「(アンディに対して)ね、喉痛くてキャンディー欲しいんだけど言って」 アンディ「何か喉に聞くドロップ持ってない?」 自分「だから持ってないって!(日本語)」 きっと僕に通じてないんだろうと思われたらしいんだけど、この時本当に持ってなかったしイラついている時に馬鹿にされたような感じでこの夜は最悪な気分だった。 ※注 アンディとリリーの写真はすぐデリートしました。 コンチキ13日目。ニースからリヨンを目指す。リヨンはフランスでも食の都市で知られていて非常に楽しみなところ。途中寄った「アヴィニヨン」という街ではローヌ川の氾濫や戦争で半分失った橋「サン・ベネゼ橋」、法王庁宮殿を見学した。この旅で建造物を見過ぎたせいかヨーロッパのチャーチ風の建物はもうお腹いっぱい。昼はマックで昼食をとる。驚く事にここのトイレでは何か注文しないと使えないシステムになっていた。トイレにはロックがかかっており、マックで何かを買うとレシートにその暗証番号がついていてそれを入力するといった感じ。フィレンツェのときにも書いたことだけどヨーロッパはトイレを使うのにどこでもお金をとるなって印象が強くなった。 夕方リヨンに到着。リヨンの街の中はセーヌ川、ローヌ川が流れている。飲料用の水を購入しぶらっとリヨン大学を見学しに行った後、夕飯を食べに行った。ロンドン大学を見たときも思ったが海外の大学ってなんでこんなにかっこいいのかな。レンストランまで行く途中見た夕暮れのセーヌ川、サン・ジャン大司教教会、ノートルダム・ド・ブルヴィエールハシリカ聖堂はとても綺麗。川の流れは非常に速く怖ささえあるものの街のイルミネーションが僕を落ち着かせる。レストランに着くと各々注文した。 コースになっているものがいつくかあって僕が頼んだのは€15のディナー。エスカルゴが入っているのにしようか迷ったが、結局安い方に流されてしまった。でもステーキのソースもおいしかったしデザートのキャラメルクリームのプリンもおいしかく、これで良かったのかな?この旅も終わりに近づきディナーを共してたマーク、エニョー、ベトーとツアー終了後または帰国後どうするか話した。大体みんなすぐ仕事に戻るらしい。もっと休みがあればな~て言ってた。僕も4月から社会人だけどまだそれほど実感があるわけでもない。どれだけ大変か知らないせいか、むしろ楽しみでもある。この日は寒気がしたのでベトー達にその旨を伝えて一人早くホテルに戻って寝た。 3月3日。コンチキ12目で旅も残り少なくなってきた。この日はフリーDAYでゆっくりと朝9時に起床。朝飯はクロワッサンにコーヒー。このクロワッサンがすごくおいしかった。昼食用にショコラデニッシュをナプキンに包んだ。貧乏くさいと言われるがおいしかったから仕方ない。今日は久しぶりに大学の友達メンバーのSとWと過ごした。ニースの海岸、旧市街地を回り、ニースのメインストリートでウィンドウショッピングをした。 ニースの浜辺はかなり綺麗だった。ニースの海辺って砂浜じゃなくて石だったことにも少し驚いた。金持ちの避暑地らしく気候もいいし、のんびりできる街。昼はマックに入った。コーラだけ頼んで場所を確保する。イタリアもイタリア語が多かったけど、フランスって英語わかるのに使わないことが本当でびっくりした。注文時に英語でも日本語でもどっちでもいいんじゃないかって思うくらいに。 フランスの人も自国の言語に誇りを持つのはいいけど、今は世界標準が英語なのだから英語を使って欲しい。もしフランスでフランス語をフルに使わないといけないのだったらヨーロッパ旅行ってとても大変になるかもしれない。だって他国を訪れる度に他の国の言葉も覚えないといけないわけだし(言い過ぎかな)。そりゃ簡単な単語くらいは覚えていくけど。一度ある程度言葉を覚えるとしかもそれが世界標準なら、なおさらめんどうくさい。とはいってもフランス語覚えたいと思っている。 夜はモナコへ行き、「ディナー&カジノ」。モナコは世界中の大金持ちが家を持ち、ヴァチカンに次ぐ世界に2番目に小さな国で人口は約3万人。グリースケリーが大公に嫁いだことや、カジノ、そしてF1の市街地を走るモナコGPでも有名な国。 モナコGPで走るヘアピンや高速で駆け抜けるトンネル、そこからでた直後のシケインを見たときの感動はすごかった!興奮しまくった。ディナーは色んなことを話した。途中何かの拍子で僕がゲイなんじゃないかいう誤認がジョークのネタにされめちゃ盛り上がった(何故いつもこんな話になるんだろう・・・)。 このメンバーともう少しで離れるんだと思うと切なくなる。 ディナー後はカジノ!有名なグランカジノは外観しか見なかったけど、自分が行ったカジノもすごく、一回のポーカーで€500(=約¥75000)をぽんと出すダンディーなおじさんもいた。コンチキメンバーもポーカー、ブラックジャックと挑戦していた。僕もせっかく来たんだから何かしなきゃと思って色々探すが最低掛け金というものがあって、€10~€100がほとんど。€10でも高いと思ってしまう。色々見回ってると「BIG WHEEL」というゲームがあってこれがMINI=€2。もうこれしかないと思った。これだと€10でも5回はできる。「BIG WHEEL」はルーレットみたいなもの。自分の賭けたい数字が5段階あってそれぞれ倍率は2倍、3倍、5倍、10倍、20倍?となっている。もちろんレートが上がれば上がるほど当たる確率は低くなる。 そこで€10だけチップに交換して挑戦。まずは安全にいって€14まで増やす。そのあと€10付近をうろうろする。そうこうしてる間に集合時間になった。手持ちは€12。 最後3倍のところと、5倍のところに€6ずつ賭ける。 緊張の一瞬。 ルーレットが回る 「カタカタカタカタカタ・・・・」 「キター!!!!!」 ハリが5倍のところをさした。最終的に手持ちが”€36”に増えた。嬉しかった。 カジノに勝利?した僕はバスに戻ったときはすっかりヒーローで仲の良い外国人グループは「Oh~ my best friend」と言って近寄ってくる。ほんとお茶目な奴らだ。この日はいい気分で就寝。またカジノ行きたい。
コンチキ11日目。フィレンツェを出て、ピサに寄り、フランスへ突入した。目的地はニース。
フィレンツェをでて1時間半が経過した時ピサに到着。ピサの斜塔で写真をとってここは終了。塔を掴んでいる写真を撮りたかったけどうまくいかず断念した。午前は移動中のバスで仮眠を取り、14:00にニース到着。ホテルにチェックインをする前にフレグナンス工房へ立ち寄った。中は香水の香りで充満してて、工房では香水の作り方の説明があった。最後にいくつかの香水の紹介があり、香水の購入。キャッシュの残りが少なかったためカードでセットの香水を買おうとしたが、このマークがないからシグナチャーだけじゃ駄目、暗証番号を打ってくださいと言われがカードで暗証番号なんて使ったことないからセット購入を諦め、代わりにキャッシュで一個だけ買うことにした。 フレグナンス工房を後にした後、ニースのホテルへ向かった。この日メンバーは二手に分かれ、それぞれ2つのホテルに泊まることになった。うちらが泊まったホテルはしょぼい方。というか差がありすぎ。バスタブがないのは当たり前、シャワーの取っ手さえないし、朝食を取りに行くのにさえいちいちもう一つのホテルまで歩かなきゃいけない。夜のディナーはコンチキメンバーみなでニース旧市街地まで移動して夕食をとる。カボチャスープがまさにカボチャの味だった・・・(日本で食べたのと異なった味)。 ビールを頼むのだが連日の酒で体が受け付けずほとんど飲めなかった。祖父が日本人のエニョーは日本語を学ぶ意欲がやたらあるらしく毎日なにかしら学ぼうとしていた。代わりにポルトガル語を教えてもらおうと思ったけど発音できない・・・。逆に日本語も文法とか発音も難しいみたい。
コンチキ9日目。とうとうこのツアーも折り返し地点にさしかかった。
朝ゆっくりし過ぎたせいかバスの出発時間を過ぎてしまいホテルをでて、バスをみるともうみんな乗っていた。アランが僕の走っている姿を確認するとバスを発進させた。笑顔で手まで振っている・・・。何はともあれ無事バスに乗り込めた。時間を守るって大事。 バスが出発すると最寄の駅まで行き、ローマのメトロに乗車。噂には聞いてたけどローマの地下鉄ってほんとうに落書きがすごい。電車も落書きだらけである。しかも東京並みに混んでいた。これはスリも多発するわと妙に納得した。地下鉄が空いてくるとジプシー(いわゆるホームレス)が車内でバイオリンを弾き歌いだした。バイオリンは良い音色であり、こういったのも良いなと思ったが、そのあと電車に乗っている人たちからお金をせびる姿を見てしまう。途中2回乗り継ぎをした後コロッセオ駅で降りた。ホテルで僕より遅く出て、本当に置いていかれたスティーブとトムが2人でメトロに乗りやっとうちらに追いついた。コロッセオ、フォロ・ロマーノではオプションツアーでイタリアのガイドのおばちゃんが案内してくれた。何故かオプションを取ってない人まで一緒にいたのが謎だったけど。こんなことなら僕もお金払わなければ良かったんじゃないかと。このガイドのおばちゃんは日本に滞在してたこともあったらしく少し日本語が話せた。どこに住んでるの?とか何してるの?とか日本にいたときの話など話した。 おばちゃんの案内が終わるとまたラッキーと合流し、ヴァチカンへ向かった。昼はヴァチカン近くのピザ屋でピザを食べる。このピザ屋は自分の好きなピザを選びそれを好きな大きさにカットしてもらう自由が利く店だった。 ヴァチカンには多くの人が並んでいて30分待った後、中に入ることができた。 ヴァチカンは世界一小さな国で人口は1000人で、カトリックの総本山であるサン・ピエトロ寺院があるところ。アンディのグループと(イタリア系の)クリスのグループ、スルー夫妻と行動を共にし、ヴァチカン博物館は広くて3時間くらいここにいた。 壁画ばかりで絵も相当宗教的。サン・ピエトロ寺院も壮大であったものの信者でない限り感動は薄いと思われる。 この頃アンディとコロンビア人のリリアーナがカップルになっていた。なんとも熱い話です。ヴァチカンを見終わった後はアンディ達から離れてスルー夫妻と再度トレヴィの泉方面へ向かった。昨日ラッキーが勧めていたジェラート屋で3回目のジェラート(チョコレート)を食べ、昨日と比べて空いたトレヴィの泉でコイン投げもした(右手で左肩から2枚コインを投げると再びローマを訪れることができるという言い伝えがある)。 これでまたローマに来れるかな。 ![]() ローマ観光を済ませてPM5:00にメトロに乗ってPM6:15にホテルに着いた。駅でフリーチケット(電車のチケット)がなくて困ったけど、改札はチケットなしで通過・・・(後にバックパックの奥深くからチケットを発見)。夕飯はホテルでパスタ、チキン、デザートでこの旅の中で一番おいしかった。夜パーティがあった。
コンチキ10日目。この日はローマからフィレンツェへ移動。
昼にフィレンツェに到着後ミケランジェロ広場で記念撮影をした。ミケランジェロ広場からフィレンツェの街を一望できる。 サンタクローチェ教会前まで移動し、ガラス館を見学後自由行動。ドォーモ広場に行ってクーポラの上(地上91m)に登った。上へ昇るにはかなり狭い螺旋や手すり付きの急な500段近い階段を登る。ミケランジェロ広場からフィレンツェの街を見るのとまた違ってて街の中から見るフィレンツェも良かった。シニョリーナ広場では旅4回目のジェラート(ティラミスと何かをあわせたもの)を食べる。ここが一番おいしかった。ここで手持ちのユーロが少なくなってきたので1万円を両替したんだけど、1万円あたり50ユーロ!!どれだけボッタクリ!と思わざるを得ない。スイスじゃ75だったのに。この辺でいくら物価が安くても駄目。 14時からフィレンツェツアー。 しかし14時を過ぎてもガイドの人が来ずダビデ像を観に行った。さすがイタリア時間!! ダビデ像があるミュージアムへ行く途中トイレを借りるためにバーへ入る。しかし、何か注文しないと駄目だということでオレンジジュースを購入することに。このオレンジがかんなり酸っぱかった。イタリアの公共のところでも50ユーロセント必要だったり何かと大変。 ダビデ像があるアカデミアミュージアムの外観は一見ミュージアムというより普通の連結した家みたいに見える。入り口も何気ないところにあって本当にこんなところにダビデ像があるんだろうかと思われた。ダビデ像はあったもののそれは想像とは全く異なっていた。教科書のダビデ像からダビデ像があんなにでかかったとはねぇ・・・。ダビデ像は”5m”を超える彫刻だった(知ってた?)。近くでみると目も描かれていて、タオルみたいなものも持っていた。ダビデ像の後姿を見ることができたのも貴重な体験? 夜はレストランまで行ってバックミュージックつきのディナー。本当は正装して行くのだけどそんなの持ってきてるわけもなく、カジュアルな格好のまま行くこととなった。ディナーは前菜、ラザニア、パスタ、ビーフ、デザートを食べる。ディナーの途中店の人に促されAUSの人数人が踊りだした。僕もシェリーに誘われ踊る事になった。社交ダンスなんかしたことないのにめちゃめちゃ困った。踊ってるときにシェリーに「実は私も踊れないの」と言われた。この気の使い方が嬉しい。 他のスティーブはかなり様になっていた。さすが北アメリカの人はダンス慣れている。ディナー終了間際オリーブオイルを飲むということで一人一人瓶から口に注ぎこまれた。口に入った瞬間喉が焼け、しかもまずい。オリーブオイルを飲むというのはウソで90度の酒だった(オリーブオイル酒?)。この酒をAUSの連中は買ってたけど飲むのだろうか。ネタづくりかもしれない。 ディナー後はフィレンツェのクラブへ移動。1Fがカラオケになっており2Fがダンスフロアになっている。11時からホールが開き中に入ると地元っ子がみんなでカラオケをしている。グリーンデイ、エミネムのwithout me、色んな人がカバーをしているI’m survive、It’s my life等有名な曲が多く、うちらコンチキツアーのメンバーも負けじと歌った。しばらく経つと少しずつダンスホールに移動し、踊りまくる。 帰りはタクシーで帰宅。今日は飲んで動いたせいか、いつにもまして酔っ払ってしまった。
コンチキ8日目。
「ゴホッ!ゴホッ!」 朝から自分の咳に起こされた。 昨日から咳がずっと止まらない。それを見かねてか 「これ飲んで早く風邪治せよ!しゅうちょん(僕)!」 と風邪薬を投げアンディが言った。昨夜ホームシックにかかってた奴と同一人物かというくらい爽やかな様子だった。普段はバスの中で一番やんちゃで明るいアンディもやはり人の子。 薬は一応昨日自分の風邪薬を飲んでたが、アンディからもらった薬がかなり効いたらしくこの日はずいぶん体調が良くなった。 今朝はシェリーに朝食一緒に食べない?と誘われ、シェリー、アリス、ヘザーと朝食を共にした。この旅もずいぶん外国人と一緒に行動するようになったなぁとしみじみと感じる瞬間だった。 AM7:30 ホテルを後にしローマへ!ローマは闘技場のコロッセオ、ローマの休日で有名なスペイン広場、真実の口、トレヴィの泉等世界中で知られている観光地が目白押し。 15時にローマへ着きコロッセオへ。コロッセオの近くでバスは停車しラッキーの「用意はいいか? 走れ!!」 の一言でバスを降りコロッセオまでコンチキメンバー全員で走る!ひたすら走った。 バス内で、コロッセオまで走らなければならないとの説明を聞き逃していたらしく、心の準備もできていなく突然の事でびっくりした。 息が弾んだ僕達はコロッセオの入り口に並んでいる列に並び中に入った。コロッセオの中心は柱が並んでいる。これは昔あった床面を剥がした跡なんだそうだ。収容人数は約5万人。修復中でもある崩れかけたコロッセオは観光客でいっぱいだがそれでもはるか昔にここで決闘が行われ、観客がそれに興奮していた姿が思い描かれる。なんとも不思議な気分になった。 その後、みなでヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂、トレヴィの泉、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂、スペイン広場、パンテオン、サンタ・マリア・インマコラータ・コンチェツィオーネ教会等、徒歩で回った。公共の乗り物を使うと非効率とはいえ、まさか全て徒歩とは。しかもトイレ休憩なし。・・・相当疲れた。 スペイン広場はいつの間にかいたって感じ。階段の上から降りてきたから振り返るまでここがスペイン広場だと気付かなかった。映画で見ると広々してるような感じだったけどその場に来てみると意外と狭い。 トレヴィの泉は観光客で溢れかえっていて騒がしかった。もっと静かなところをイメージしてたんだけどな。あまりにも人がいたせいでまた明日再度来るということで軽くみて終わり。ラッキーお勧めのジェラート屋が閉店時間を過ぎてたのでトレヴィの泉側のジェラート屋へ向かう。その店でジェラートを盛ってくれた人にお金を渡そうとした時、見た目で日本人と判断したのか、日本語で「カイケイアッチ」と片言の言葉を投げてきた。他の人は英語なのに日本人は英語が全く話せないと思っているのか、サービスの一環なのか。。。むかついたから「I don’t speak Japanese」と言ってやった。それにしても日本人多い。やっぱ日本人って裕福なんだなと改めて思う。 ![]() 夕飯は各々自由。僕はラッキー達に付いていった(ラッキー、アラン、アンバー、カーレン、アリィ)。しばらくして、 ラッキー(ガイド)「あれ?しゅうちょん。 なんでこっちにいるの? 他の奴と行かなくていいの?」 僕「いやー、ラッキーについていけばおいしい店知ってると思ってさ。」 アンバー(オーストリア出身のブロンドガール)「間違いないね!」 これが見事に当たった。イタリア語がまったく読めない僕はコンチキバスのドライバーアランにどんなのが食べたいのか伝えて、アラビアータのパスタを頼んだんだけどすっごくおいしかった!ちょっとスパイシーでいてアルデンテのパスタはまさにイタリアを味わっているような気分にさせてくれる。 夕飯後はホテルに行きチェックインをすませて部屋へ向かう。部屋に入るとありえない光景がそにあった。 なんとベットがダブルベット!! アンディと僕は一瞬言葉を失った。 アンディ「ま・・・ 仲良く一緒に寝よーぜ! Mate!.」 僕「お、、、おう!」 この旅は寝るときいつもツインなんだけど、思えばこれまでもまるでダブルベットなんじゃないかって思うくらいベット間が近かったんだよね。だからいつも部屋に入るとお互いベットを話す作業から始まる。そして今回がこれ。離しようにも離せない。 気をとりなしてアンディとバーへ飲みに行った。 昨夜のベットを取られた次の日、クリスがデジカメと財布を失くしてていい気味だなと思うものの結局気の毒になって一緒に探した。昨夜の事でクリスに謝られたがこれからも謝られる事になるとは・・・ コンチキ7日目はオーストリアを出て、イタリアはヴェネチアへ!ヴェネチアといえばゴンドラ。一台は車が通っておらず100を超える島からなる街。寒い国から一転して暖かい国へやってきた僕らは水上タクシーに乗り、サンマルコ広場の近くで降ろされる。 下船するとため息の橋、サンマルコ寺院、アカデミア橋、リアルト橋を周る。アカデミア橋でみんなで写真を撮ったり、一回目のジェラートも食べたりした。 ジェラートはサンマルコ寺院のすぐ側のジェラート屋さんで購入。 バニラとレモネードを合わして食べた(€2)。レモネードはおいしかったがバニラは微妙だった。 イタリアへくるとさすがに日本人がたくさんいる事に気付いた。こうして他国で日本人の集団を見て他国の人達と比べると個性のない日本人と言われてるが、髪型や服装がずいぶんユニークだなと感じる。むしろ外国人の方が同じような格好をしているんじゃないかと思う。その他にもツアーの集団がいたるところにいてガイドの支持に従っている。さすが観光の街だと関心した。 みんなで一通りヴェチチアを回った後夕飯のオプションの開いた時間でまたヴェネチアの町を探索。一眼レフのカメラを持った日本人らしき女性の集団にも遭遇。ヴェネチアの川に沈む夕日は一見の価値がある。 夕飯は演奏付きの飯となった。イタリアでアベレージの店だと聞いていたがそれほどおいしくなかった。€30くらい払って場所代の方が高い気がする。この日ホテルに戻ると中日だからかそれほどうるさくなかった。寝ていると、アンディの帰ってきた気配に気付き目が覚めた。アンディどこかに電話をかける音を聞いた。どうやら自分の母親に電話をしているらしい。「へい!母さん!俺だよ!・・・うん・・・うん・・・。旅はすごく楽しいよ。そっちの調子はどう?・・・へぇ・・・うん・・・そうか・・・こっちも大丈夫!」とやたら嬉しそうに電話するアンディの声を聞いてこっちまで嬉しくなった。しかし、電話を切った途端、、、なにやら鼻をすする音が、、、グスン・・・ アンディが泣いていた。 アンディ「・・・fuck…」 ファックとまで言っていた。 アンディ、ホームシックなのかな。同じ部屋にいてうすうす感じていたが、、アンディは実はとっても繊細で優しい心の持ち主。普段はおっちゃらけて楽しくて寂しさしらずなアンディしかみないけど、いつも夜になって部屋に戻ると家族に対し手紙を書いてるし、姉妹にもメールをしたりして話す内容もノリの話じゃなくて普通の会話。普段はツアーを楽しみたいと自分からバスの中を盛り上げるけどそれもみんなにこのツアーを楽しんで欲しいというところからきてるのかも。そんなアンディがルームメイトで本当に良かった。
コンチキ6日目。すっかりスイスという国が気に入りもうちょっといても良かったかな。この日はルツェルン(スイス)→リヒテンシュタイン→インスブルック(オーストリア)と移動。
昼に立ち寄ったリヒテンシュタインは人口約5000人ととても小さい。ここで昼食のケバブを食べる。中心地は静かでまったりとした国だった。バスに戻ると他のコンチキツアーのバスが隣に停まっていて、自分が危うくもう一台のバスに乗りそうになった。 昼食後、出国手続きをしオーストリアへ入る。インスブルックへ。インスブルックは冬季オリンピックが2度もあったところで、カットクリスタルで有名なスワロフスキ―社が建てた「スワロフスキー・クリスタル・ワールド」を見学した。それらの作品は非常に幻想的な男でも見入る場所だった。 スワロフスキーを見学したあとはオーストリアに来た目的チョコートケーキの王様である「ザッハートルテ」を食べにカフェを探す。入ったカフェではウェイターがとても礼儀正しく出迎えてくれた。これまでアットフォームな接客や無愛想な接客に比べるとこの店のレベルの高さがわかる。そこでザッハートルテとカフェラテを注文した。本当はウィーンで食べたかったけど、ずっと食べたいと思っていたザッハートルテを食べることができて感動!本場のザッハートルテは非常に甘くコーヒー類と併せて食べた方が良い。他のコンチキメンバーも女性を中心に多くの人が食べたようだ。お土産まで買っている人も。男性陣は食べている人は少なかった。オーストリアの町を歩いていると(オーストリア人?の)女性に声をかけられ写真を撮って もいいかと聞かれた。なんでもこの人の仕事がアーティストだそうでそのモデルにだという。あまり気が乗らなく、なによりどんなトラブルがあるのかわかならなかったので丁寧に断っておいた。 この日はAUS出身、南アフリカ滞在中のシェリーの誕生日。ホテルのバーで飲んだ。この頃には多くの外国人にも名前を覚えられ色んな事を話して楽しかった。日本人のほとんどが学生なのに対し外国の人は社会人の人が多くて長期の休みでこのツアーに参加していた。 バーでの飲みが終わるとすっかり眠たくなって部屋に戻ったのだが、寝てたらまたAUSの連中(アンディ、クリス、スティーブ、シェリー、アンバー、カーレン、ヘザー、アリィ等)がやってきて寒いのに窓全開。テンションバカ高く、僕が寝ているにも関わらず上に乗ってきてきたり男と女がイチャイチャしてたりともう寝れる状態じゃなかった。「なにやってるん!」と言うもののこの酔っ払った連中何を言っても駄目。これは駄目だとスティーブにベットを借りて他の部屋へ避難した。その後もまだ何回かちょっかい起こされたりちょっかいかけられそうになったが全て無視。 AM3時を過ぎるとすっかり静まりかえりうとうとしてるとまた一人部屋にやってきた気配がした。アンディだった。僕が他人の部屋に寝ていることに「Jesus crisis…」とぼそり。その言葉を最後に眠りに落ちる。 コンチキ5日目。この日のAM9:00にゴンドラへ乗り込みルツェルン市街へ行くためAM8:00にアラームをかけていたはずが、PM8:00にしていたため寝過ごす。アンディが8:20分に起き、起こしてもらった。そのため今朝は少し慌しくなる。スイスの山頂から景色を観ながら一人で朝食を過ごした。眺めの良いところで紅茶をすすりながら、パン、コーンフレークを食べる。何ともいえない贅沢な気分だった。 9:00無事ゴンドラに乗り込んだ。同じゴンドラに乗ったのは日本人のMAと南アフリカ出身夫婦のスルーとシャミラ。スルーはシャンプーで有名なLUXスーパーリッチ、洗顔・ボディソープで知られているDove等を商品として売り出しP&Gの競合でもある「ユニ・リーバ」に勤務。ゴンドラの中ではそれほど話さなかったけど、この後仲良くなる。ゴンドラで麓に下り、バスで町の中心部に移動すると少し自由時間があったので単独でルツェルンを見回る。街を見てる途中出会う同じツアー仲間の人に出会いスイスチョコをもらったがめっちゃおいしい。トリュフチョコみたいなチョコだったかな? 自由行動の後みんなで『ライオン記念碑』を見学。 ライオン記念碑は1792年、チュイルリー宮にてルイ16世を守ったスイス兵役800名の慰霊碑として造られた。そこでみなで初の集合写真を一枚パチリ。 ライオン記念碑を後にし、昼はオプションの「チーズフォンドュ」を食べに行った。本場のチーズフォンドュはワインの量が半端じゃなく、それだけで酔っ払いそうなくらい。ドリンクにワインを頼んでしまい後悔した。チーズフォンドュのオプションを頼まなかった人はタイ料理を食べ行っておいしかったという話を聞くとそっちの方がよかったかなぁとか。 まぁ、何事も経験なんだけどね。せっかくスイスにいるんだからと考えると結果オーライ?? この後も本来15:30まで自由時間だったのだが、山の天気が思わしくないということで少し早めに山のホテルに戻った。夕飯はマークとSちゃんとWくんと共にとった。マークはゴールドコースト出身の電気エンジニア。趣味はサーフィンでイケメン。ドラゴンボール好きで若干オタクっぽい印象をもったもののこの日がきっかけで仲良くなり、夕飯後話ついでに一緒に夜景を観に行った。しかしホテルの外は吹雪になっていて30分くらいいた位かな。アンディとクリスも外にでてた。夜はやる事が少なくホテルの映画を観てその後部屋でアンディと色々語り就寝。
コンチキ4日目。AM5:50起床。本来7:20朝食のところ6;20からだと間違えてアラームをかけていたようだ。ルームメイトのアンディも起こしてしまった。昨夜シャワーを浴びていなかったので朝浴びようとするが、水しか出ない。2~3分裸で手を水に当ててたもののいつまで経っても水。水。水。 気合いを入れて頭に水をかけ、気合いで水を浴びる。僕がシャワーからでてきた後はアンディーがシャワー室に入りさっぱりした表情ででてきたので「あれ?シャワー水じゃなかった?」て聞くと「yeah、水だったよ!寒かったよ!」と爽やかに答えられた。さすがアンディ。寒かった様子も見せない。後に他の部屋でも水しかでなかったとか、お湯だったのに途中から水になったとかで要はみんながお湯を使いすぎだったって事が判明。まぢ勘弁だった。
7:50出発。午前は移動のバスの中で眠り続けた。昼過ぎにスイスに入り、途中AUTOGRILL(ドライブイン)で昼食。エニョーとトマトソースのパスタを食べる。エニョーは見た目が日本人みたく、最初日本人かなと思ってたんだけど実際はブラジル人で祖父が日本人の日系3世なんだそうだ。旅行代理店で働いていて、英語はノンネイティブの中では同じ日本人でアメリカの大学に行ってたK1と並び最も上手かった。コンチキ4日目になると自国の御飯が恋しくなるためかエニョーはブラジルで食べていたものと近いものライス、芋、ステーキ等を食べていた。僕はまだそれほど日本食が食べたいと思わなかったけど食べなれないものばかりだと体の調子はあまり思わしくないのは確か。14:30にルツェルン到着。2月下旬にしてはかなり暖かいスイスだった(今年の長野くらい)。これも地球温暖化の影響なのだろうか。 到着後すぐにルツェルンの麓から山の上にあるホテルまでゴンドラで40分かけて昇る。ゴンドラ後半ではアルプスの険しい崖の側を通り、風も強くなってゴンドラが横に大幅に揺れる等スリル満点。山頂に着くとラッキーが今日と明日の大まかな予定を話す。ホテルのでシャワーを浴び一人すぐに外にでて山の上から街の景色を眺めると、その壮大な景色スイスにきたんだな~と改めて実感した。ホテルの外からまた階段があってさらに山の上まで上って景色を360度渡って眺めた。この旅一番の感動だった。風邪が強く寒かったものの長時間いても飽きず2泊の中で4度(夕方、夜、夕方、朝)ここに昇った。AUSのマークも相当気に入ったらしく僕が景色を見ている時に何回もぶらぶらしているのを見かけた。 この日の夕飯はスープ、メイン、デザート。メインは昼に食べたのと全く同じトマトソースのパスタ・・・ こんなことなら昼違うの頼めばよかった。 夕食後、20:30からホテル近くのディスコ(クラブ)へ行く。スイスにあるディスコだからみんなスィスコて呼んでいたのがおもしろい。スィスコは山頂にあるためかホールにいたのは全てコンチキメンバー。50人が踊るにしては広すぎた。でもみんな盛り上がり、はっちゃけて楽しかった。![]() この日はAUSの連中が2次会でパーティを開き部屋の中にいても声が響き渡っていた。 4日目終了。
コンチキ3日目。5:30起床。昨夜残した置手紙が良かったのか、朝からアンディと会話がはずんだ。改めて手紙の事を言われると少し照れくさかった。
6:00朝食を取り7:20出発。 今日はアムステルダムはオランダからドイツへ! バス内ではラッキーがドイツの歴史について30分以上に渡って話したり、ヒトラーの演説のCDを聞いた。第二次世界大戦時、ナチスはユダヤ人を600万人を虐殺した。昨日のアンネの家を訪れたときにも感じたが、人が人の命をそんなにも簡単に奪えるようになるものなのか。そう考えると非常に恐ろしい。一番怖いは自分も同じようになる可能性があるということ。現に二次世界大戦では日本も戦争をしていたわけで、韓国人や中国人の人達を自分の祖父の世代がたくさん殺していたのも事実。ユダヤ人を殺していたドイツ人も家族を持っていたわけで、どんな敵対心を持っていたとしてもどこかで後ろめたさがあったんじゃないのかなと疑問に思った。今も戦争やテロが頻繁に起こっているが、アンネの家、ドイツに入ると今までより考えさせられた。 戦争やテロの当事者の視点から見ると各々「正義」が存在するわけで、僕が戦争やテロをやっちゃいけないというのは自分が平和な日本に住んでいて、直接差別や不当に扱われているのを日常に感じていない僕らの意見・考え方は不合理なのかもしれないと(この旅から)思った。その時、その場にいなければ戦争が起きていたときの人達の感情はわからない。だけどそれでも、戦争・テロを起こしている国の人でも反戦争・テロの人というのはたくさん存在している。自分を含めみんなが戦争やテロで人を殺める事が何を生み出すのかを理解して、何が大事なのかを認知し行動しないと駄目なんじゃないのか。 昼は予定に入ってなかったケルンへ行くことに。こんな事ならケルンに住んでいるドイツの友達にケルンに寄るって連絡入れときゃよかったと後悔した・・・ コンチキツアーはツアー途中でも予定を変更する。ケルンに到着後、ブラジル人のベドーとエニョー、コロンビア人のリリアーナとケルンの大聖堂、ケルンの町を散策する。ケルンの大聖堂は元は600年もかけ建設されたもの。50年前?にかなり破壊され再建設されまたほとんど修復された。この修復の速さには驚く(←ラッキーの英語での解説だったからもしかしたら誤って聞いてしまったかも)。13時集合で11時45分になっても昼御飯を食べる気配がなかったから食べないの?って聞くと今日は昼食べないとの事。僕はお昼が食べたかったのでその集団から離れ、近くのパン屋へ行くことにした。そのパン屋にはオナジツアーの日本人女の子が偶然いて、一緒に御飯を食べることにした。 短時間滞在のケルンを後にし、今夜の宿泊するラインバレーへ向かった。ホテルではエレベータがなく部屋までスーツケースを持ってくのは相当しんどかった。というかエレベータがあっても女の子を優先するため最終日のパリを除き(パリのホテルの部屋は6Fでエレベータも3つあった)この旅ずっとエレベータは使わなかった。着くと田舎街をうろうろした。すれ違う同じ旅をしている人と軽く挨拶を交わすなどツアーなのに一人旅気分を味わえたりしていい気分である。夕飯は宿泊するホテルででて、味はまぁまぁ。 夕食後はオプションのワイン・テイスティングへ。僕はお酒はかなり弱く、ワインを小さなグラス3杯も飲むとすっかり酔っ払ってしまう。 マイナス7、8度以下を保っていないと作れないという「アイスワイン」は本当においしい。甘く、これって本当にワイン?!と思うくらいだった。高いけどまた機会があれば飲みたいと思った。帰りには地面の窪みにつまづきワインをこぼすなど粗相をしてしまい、みんなから温かいブーイングをいただき、他の女の子にワインをかけてしまったけど本人は大丈夫だと言ってくれた。申し訳ない。 ホテルに帰るとそこのBarで飲み会が始まった。コロンビア風の乾杯を教わったり、この旅の事やラッキーに対する愚痴を聞いたり酔っ払っていて話内容がうる覚えだったものの楽しかった。コロンビアでの乾杯(ていうかスペイン語圏??):『arriba abajo al centro Pa dentro!!』といって最後のPa dentroでくっと飲む。この旅で何回これ使ったことか。 この旅も3日目でだいぶ慣れてきた。
コンチキ二日目。16時45分まではアムステルダムを自由行動。
アムステルダムはセントラルステーションを中心に半円状に街が広がっている。また自転車王国であり自転車の数が半端じゃなく、街中にはバスの他にトラムという乗り物が走っていた。 そのトラムに乗りまず向かったのが『アンネ・フランクの家』。ご存知「アンネの日記」のアンネの隠れていた家である。簡単に述べると第二次世界大戦時ユダヤ人であるアンネ一家は知り合いの家を隠れ蓑にしていた。それは本棚をカモフラージに回転扉となっておりそこにひっそりと隠れ住んでいたのだが、1944年ゲシュタポに発見されアウシュビッツに収容・処刑された。アンネの家では窓から同じユダヤ人がナチスに連れ去られた際の写真も飾ってあった。アンネはこれを見ていてどのように思ったのだろうか。アウシュビッツに連れて行かれた人の中には処刑されると知らずに連れて行かれた人もたくさんいたのだそうだ。大学の学部生の時にアンネの日記を読んでいたので今回の訪問は非常に大きなものとなった。 アンネの家を後にし、『ゴッホ美術館』へ。ゴッホの作品が年代順に4Fと地下に分けられ数百点飾られている。美術館の中はゆっくり観たいということもあり単独行動をした。ゴッホの自画像、ひまわり、黄色い家等も含め、ゴッホの絵のうまさには素人の僕にも理解できた。コンチキ2日目の今日は日本人だけで周ってしまい自己嫌悪に陥った(今思えた、それでも良かったんじゃないかと思う)。これじゃ日本人ツアーに参加したのと同じだから何とかしないとと思った。 集合時間の16:45分。一旦集合しチーズ&木靴造り工房へ向かった。チーズは味見もありどれもおいしいかった。木靴は実際に作るところを見させてもらったんだけど、職人の手際の良さに下を巻いた。工房を後にした後はディナー。オプションで取った人はそちらに行き、僕らはそのオプションに参加しなかった女の子2人地元が名古屋の子と大阪出身の子と合流し他の店で食べた。![]() ディナー後、アムステルダムに戻り「SEX SHOW」。文字通りのショウ。アムステルダムは驚いた事にストリップ等が合法でそのメッカなんだって。そういった類の店が並ぶ場所では写真はタブーでもし撮ったのがばれるとカメラを川に捨てられたりする。恐ろしい。SEX SHOWに参加した日本男児は僕だけ。他の男も参加すりゃ良かったのに。せっかく来たのにもったいないよね。ショウはすごかった。本当にモロ。最初はストリップでストリップ自体はステージに一人ずつだったけど何人かの人がでてきたりと隣の奴とどの子がいいか聞かれた。さすがにどれも微妙とは答えづらかった・・・。ストリップもかなり過激。ストリップが何本か終わると男女がでてきて本番のショウもあった。途中コンチキメンバー男女5名が指定されステージの上に上がらされ、そんなところに入れちゃいけないバナナを食べさせられたり、一緒にダンスし誘惑されたりと見てるこっちが恥ずかしい。最後の方には我がルームメイトのアンディがステージに上がらされ、こんなことやあんなことをされていた。 1時間超に及ぶショウも終り、ホテルへ帰宅。帰りのバスはブラジリアンのベトーと隣になる。彼は一つ上だけど3月生まれなので同じ25歳。ブラジルの一番大きな銀行に勤めているバンカーだ。もっと外国人と話したいな~て話をしていたら明日一緒に周ろうとのこと。アンディを含むAUS5人はそのままアムステルダムに残りクラブへ向かっていった。この夜はコミュニケーションをとる為にアンディに「先寝るよ。さっきのショウも楽しかったね」みたいな置手紙をし就寝。2日目終了。 AM6:45 ホテル1Fのカフェテリア集合。いよいよコンチキツアーが始まった。昨日は仮眠も取ったし、早く寝たと思ったけどまだまだ眠い。 バスに乗車し昨日知り合ったスティーブの隣に座る。しかし、昨日話し尽くしたこともあり、たどたどしい英語の連続。なんとか話すものの向こうのナチュラルな英語にも悪戦苦戦する。参加者は51名でその内オーストリア人が一番多く、日本人が18名、カナダから3名、アメリカから3名、南アフリカから3名、ニュージーランド人から2名、ブラジル人から2名、コロンビアから1名。日本人強し。ガイドのラッキーはオーストラリア人でコンチキツアーは副業。普段は物理やサーフィンを教えている。ファンキーで常にみんなを笑わせ影ながらメンバーを支え仕事きっちり人間だ。バスの運転手はニュージーランド出身のアラン。彼ともこの旅でとても仲良くさせてもらった。 コンチキ1日目はロンドン→アムステルダム(オランダ)。バス内ではある一定時間内で席を移動し自己紹介をするイベントもあった。これで名前を覚えられるわけじゃないけど友好を深めるのに良かった。 バス移動ではイングランドからフランスへ渡るためのドーヴァー海峡はトンネルじゃなくて船で渡った。イングランド―フランス間はパスポートが必要なことを知る。そこはすでに英国圏ではなく「ハロー」じゃなくて「ボンジュール」。多言語で英語以外を使用するのは初めてで、なかなかなかなか照れくさかった。船に乗り込み、昼食を取りそうこうしてる間にフランス到着。ベルギーを経て、オランダへ。途中寄ったドライブインのレジが4月から働く会社の製品に感動した。17時にアムステルダムに到着。7時に出てから移動時間10時間!初日からなんともハードな一日となった。 初日のホテルはibisという日本にもあるホテル。この時ルームメイトが誰なのかを知る。ルームメイトはオーストラリアのメルボルン出身のアンディ。22歳で、身長が190cm超と馬鹿でかい。しかもやたらハイテンション。後に、というかすぐにツアー1番のハイテンションな奴だとわかった。仕事はシェフをしていて兄弟はお姉さんがいるのだそうだ。ビールが大好きで、ギャンブルやクラブが好き。この後すぐに、夕飯とオプションツアーのアムステルダム・ナイトクルージングツアーがあるのにさっそく飲みに部屋をでていった。 ※コンチキではツアーの他に色々オプションでツアーが別途用意されており有料だけど参加は自由。僕はほぼ全て参加し約€340(€1=約155円)。 夕飯を終え、運河のクルージングツアーに出かけた。船に乗るとオーストラリア人はすでにテンション馬鹿だかい。船の上では最初の方こそ景色をみていたがアルコールやつまみが用意されていてすぐ酔っ払って、色んな人のところへ話しに行った。こんな感じで長い長い(と感じた)初日は終了。アンディはクルージングから帰ってきてまた飲みに行った。
「Good morning, everyone. Welcome to Contiki !」
2月20日AM7:00ガイドのラッキーの一声からコンチキツアーが始まりヨーロッパをバスで周る16日間の旅が始まった。 ツアー名:ヨーロピアン・エンカウンター 世界中の人が参加するツアーのコンチキ。しかし、もともとニュージーランドのツアーということもありツアーのほとんどがオーストラリア人だそうだ。今回は卒業旅行は大学の友達2人(SとW)とツアーに参加するのだがた、はたして上手くやっていけるのだろうか不安だった。とはいうものの、せっかくの旅なのであり、絶対たくさんの外国人と友達になろうと決心した。2月19日 AM6:10 ロンドンのヒースロー空港到着。 18日の夕方に中部国際空港を離陸後、香港国際空港で乗り継ぎをしロンドンへ向かう合計21時間30分という長時間フライトだった(待ち時間含む)。 空港到着後UNDER GROUND(地下鉄)に乗ってホテルのあるROYAL NATIONALホテルのある駅まで向かう。空港出てすぐくらいから街に入るまでは地下じゃなくて外を走った。イギリスの地下鉄は日本のそれと比べるとかなり狭かった。ロンドンは雨が多くどんよりとした街のイメージがあったが、僕らが着いたときロンドンは晴天だった。まるでうちらを迎え入れてくれるような気さえしていた。 1時間弱電車に揺られ、目的地駅へ到着。さっそくロンドン観光をした。ロンドンはユーロ圏なものの通貨はポンド(£)。この辺りはユーロ(€)に統一して欲しいな。朝食にジオスの英会話の先生が進めていた「ENGLISH BREAKFAST」を食べる。味はロンドンにしちゃまぁまぁ。値段が非常に高い割りに(1000円ちょい)そんなにおいしくない・・・ その後「ロンドン大学」、「ビッグベン」、「バッキンガム宮殿」、そしてハリーポッターにも出てきた「キングスクロス駅」を観て周った。キングスクロスやビッグベンロンドンを見たときも感動したけど、ロンドンの町を歩いている事自体にも感動した。久々の海外であり、周りは外国人ばかり。新鮮だった。キングスクロスではここからハリーがホグワーツへ行ったのかぁとバカなことを思う。PM2:00になりホテルのチェックインの時間がやってきた。ツアーのプレミーティング(PM6:00)まで時間があったので時差ぼけを直すためにもホテルで仮眠をとった。この日と待ったホテルは日本のと比べかなりしょぼく思えたけどこれから始まる旅で泊まるホテルに比べるとまだ恵まれていることにこのときは知る由もなかった。 PM6:00 プレミーティングが行われるというホテル地下のBASEMENTに行くとすでに何人かのオーストラリア人だと思われる人が数人ソファーに座っていた。すぐに話しかける勇気もなくとりあえずネットでmixiをやるものの文字化けしていて日本語が全く読めない。というかこんなところでmixiやるのもどうかとすぐに思ったり。BASEMENTをうろうろして時間をつぶしているとどんどん人が増えある事に気付く。 「あれ?日本人多くない?」 そう。毎回コンチキはアジア人でさえいるかいないかわからないとの事だったので少しがっかりした。日本人で固まってそんなに外国の人とあまり話せないんじゃないかという不安が頭を駆け巡った。 ガイドのラッキーの説明を受け、一人一人海外保険に入っているかどうかのチェックのため列になった。このときインド系カナダ人のスティーブに話しかける。 彼は、今年大学を卒業し次ぎはAccounting(会計学)を学ぶために修士に進むのだそうだ。大学もブリティッシュ・コロンビア大学と超名門のエリート。しかし、やたら体格がよくほりが深くかつ気が利く奴。日本人の女の子もたくさんいて、中には日本を出発前にmixiで知り合った子達とも出会う。プレミーティング後、スティーブとそのルームメートのサンとこの時知り合った日本人男2人(アメリカの大学出身のKE、埼玉出身のMA)とS、Wの7人で夕飯を兼ねロンドンの町へ繰り出した。それにしてもどこも物価の高いこと高いこと。結局ちょっとしたレストランで£8だしてハンバーガーが夕飯になった。 この日はホテルに戻り、明日に備え早く就寝。
今日をもって、本ブログを閉鎖したいと思います。
(最近mixiでの更新が多いため) と、言ってもまた4月、社会人となったら他ブログで再開する予定。
後輩のモル帝のブログ
にコメントしようとしたら何回してもエラーがでるのでこっちへ書きます(ネタにもなるし一石二鳥やな) >>けどそんなんが当たり前みたく日常営まれる時点で さらにスケールの広がった世界平和だなんて到底無理 そう、世界はあまりにも混沌としすぎてる。 世の中は理不尽やし、不正なんてものはありえんくらい存在している。 正直者がバカをみてるし、騙される方が悪いなんて言う人なんてのもあるし。 そりゃぁね。 こんな複雑な社会を要領よく回って表面的にニコニコしてれば、世の中うまく渡っていけるやろうけど問題はそれが自分の中で矛盾していないかってとこやんな。 自分に正直に生けていけん人は後で後悔せえへんのかな。 思うんやけど、世の中を平和にするなんて現実的には不可能と考えるが妥当。 やけど大事なんはそれでも社会をよりよくしていこうと思う事なんやと思う。 ただ、モル帝のブログを読んでいて思った。 平和ってなんなんかなって。 本は大体いつも2冊か3冊平行して読んでるのですが、今はこの本を集中して読んでます。ルービンはクリントン政権時の財務長官であって、投資銀行のゴールドマンサックスでは共同CEOを努めた人。 ゴールドマンサックスでもみなから慕われ非常に優秀な面を見せ、財務長官となっても多くの危機的状況のなか手腕を発揮し、米国歴代財務長官の中で最も高い評価を受けたルービンの回顧録からルービンの全ての事象は蓋然的だという哲学に非常に感銘を受けた。 また、蓋然的な信条を基に”リスク”に対して賢明な判断ができ、周囲とのバランスをも考え、常に何かを学び取る姿勢は学ばざるを得ない。 誰とも話さないという一日をおくった。 人付き合いに疲れてきたこの頃としてはたまにはいい。 人と話して人の価値感に触れることは刺激になるし、楽しいと思える反面、やっぱ疲れるんだよね。 自分と考え方が違うって事は、それだけその溝について考えてしまうし、ストレスになることも少なからずでてくる。 今後もっとたくさんの人と会って、仕事上でも話していかないといけないと思うとうまい息抜き方法も真剣に考えなきゃなと思った一日でした。 ほんと人っておもしろい。 人の数だけ個性があって、 そのそれぞれの人の価値感があって、 その価値観を大事にする人もいるしそうでない人もいるし、 でも、それが僕達に興味を抱かせる。 人と会ったとき、その人の話を聞くのも楽しいし、 でも自分も話さなきゃいけない。 いや、話さなきゃいけないというよりか話してしまうんだろうね。 ま、ムリに話す必要があるときもあるけど。 話を聞いてるとき、話自体にたいして目新しいものがなかったり、なんでもない話って結構多いと思うんだけど、 その話の中にその人の魅力が見えたり、その人の考え方というものが垣間見られる。 それが自分にどのように影響するのか。 全く影響しないということはほとんどないと思う。 少なからず影響されるもんやと思うし、それは自分のこれからの人生観に対して幅を広げてくれるはず。 そういったその人達の話を自分の価値観に照らし合わせちゃったりもするけど、できるだけそのまま大事に受け止めたいね。 僕は人に語ることってそんなないというか、ほとんどが当たり前だろうと考えてしまうのが悪いところなのかも。 色んな話を聞いてるとそんなん今更ってことを話してることが多いのも事実だけど(みんなもそうなんかな~?)、もっと謙虚な姿勢でかつ話さないとわかんないからもっと自分から語ることをしないとと思った。 もっと色んな人の話を聞いて、自分の中の魅力をさらけだし、自分自身の魅力をあげていきたい。 温泉からの帰り道 何年も工事しているところがあるんだけど、そこで道路の話になった。 一体いつできるんやろ~? さぁ、10年後とかっちゃう?見たいな感じで。 道路。 あれば便利やし、広い方が快適で町並みもそれなりに良くなっていくらか活気付くかもしれない。 だけど、僕は今の(意味のない)道路の増加にはおもいっきり反対。 なぜなら税金の無駄だから。 そりゃ、財政状態が悪い街からしてみればきちんと舗装され見栄えがよくなって少しでも人に来て欲しいだろうし、多くの人が利用している道が悪路すぎて直して欲しいと思うところもあるだろう。 だけど、全く無駄なところに大切な税金を費やすのはいかがなものだろうか? なんにもない田舎道にすごく立派な道が広がっているのをみたことがあるはず。 一体こんな道を誰が通るんだと。 都市部を見てみても常に道路工事やってるんじゃないか。 道路を作る→道路の建築費”<”財政収入や生活の豊かさ ならまだわかるけど、”>”なってるし。 この道路を立てるといったいどの程度経済効果があって、それで国民または県民の生活がよくなるのならいいけれどむしろ赤字を積もらせてるし、その上さらに道路を作ろうとしているんだからすごい。 特に高速道路。 本来なら税金を払っているんだから、高速で料金を取られるのもおかしい。 というか将来的にただになる予定だったのに(当たり前)、道路公団の債務もすごいから料金をなしにできるわけないし、それでもってまた高速を伸ばそうとしている。 どう考えたっておかしいんじゃないの? 高速道路と称していない道もあるし。 赤字を出してるのにさらに道路を増やしているんだよ? それらは本当に必要? もっと他のところに税金を使うところはあるんじゃないの? むしろ、国家が破産するかしないかの瀬戸際なのに少しのメリットのためだけに大量の税を使うのってみんなはどうも思わないの? と言わざるをえない。 その土地土地の私利私欲で道路を作られちゃたまったもんじゃないよ。 立派な道路を作るから=街が活性化される とかじゃないんやしさ。 もっと本質的な原因を探し、日本全体の事をも考えて欲しい。 道路が資産を生み出すより負債を増やす方が大きいのって大問題だよね。 なんだかんだいって、40兆円の借金を50年後伸ばしたとかいっても結局国民が負担しなきゃいけない落ち。 そもそも道路公団って民営化しようとしてるけどいるの?もういらないんじゃ・・・ 『人』と『人』との関係。 当たり前だけど、人は他人とは全く異なる生き物だから価値観や許容の違いから摩擦を生む。 コミュニケーションが上手くいかないときは自分が嫌になるし、気持ちがすごくしずむ。 今がまさにそんなときだ。 と言っても、特におもいっきり人との関係がうまくいっていないというわけでもないんだけど、ちょっとしたことで心が折れ曲がりそうになる自分が見つける。 相手がわかってくれない。 自分の言いたいことが伝わらない。 いや、むしろ自分が思ってることをきちんと話せてないのかも。 自分の考えてる事を言うときはきとんと論理立てて、さらに声のトーンの起伏やジェスチャー、顔の表情なども必要となりメリハリが必要なときが多いのは理解できる。 だけど、できない。 文を書くときでも同じだし、人と話すにしろ、文を書くにしろ手を抜くといっきに薄っぺらなものとなってしまうのもよくわかる。 それは自分を表現することが義務化してしまってるところがあって、本来なら言わなくていいこと、書かなくていいことを無理やりすることからやってくる。 そうすると、自分を騙してまで何かを表現しようとしているのでムリが生じる。 自己嫌悪に陥る。 人とのコミュニケーショんが億劫に感じるようになる。 もしかしら僕だけではなく、多くの人がそうなのかもしれないが自分自身、すごく弱いということをしっかりと認識している。 弱いと知っていて、でもかつどうにかして成長しようとすると上手く表現できなかったり、その表現に手を抜いてしまったりして、負のスパイラルへと足を踏み入れてしまう。 弱さを認識しているが、それを克服しきれていないのだ。 でも、僕はこういったことを補ってくれるのが人との繋がりなんじゃないかなと考え直させられる。 人との関係で自分がへこんでいくのに、その人に頼るのに矛盾があるように思うけども、それでもやはり人との繋がりって大事。 ただ、そこで自分を保つ事のバランスが難しいだけなのかもしれない。 コミュニケーションって一体何ですか?
もうすっかりクリスマスシーズン
街のイルミネーションが僕の歩みをとめ その輝きが僕の心を心躍らさせながらも少しシックにさせる それは、まるで一年の締めくくりを祝うように街全体を輝かせているようであって この一年間をふりかえさせられ さらには去年、一昨年のクリスマスまで 瞬く間に時が移り、色んな思い出が過去になっていくのは少し寂しいけど 年が変わる前のこの時期だけは どことなく顔をほころばせてくれて、とても貴重な時間だなと思わせてくれると感じるのは僕だけでしょうか? 明日はX'masパーティがあります。 ※Christmas の語源は、「キリストのミサ」(Christ + mas)にあるそうです。 物事に優先順位をつけるのってバランスが難しい。 昨日のバイトが終わった後、ふとそんなことを思った。 例えば、僕の日常の簡単な優先順位として、 高 ←→ 低 友達等人との付き合い―自己啓発―研究―自分の時間―バイト: な感じ。 お金も人との付き合いの方を大体優先させる。(せっぱつまってなければ) ここで優先順位のバイトを考えたときに、それほどバイトに固執してないのでどうしても他の都合を優先させて断ることが増えてしまう。 だけど、少しはお金も稼ぎたいのでバイトを続けるためには他の人の都合もあるので自分が入らなければいけなくなってくる。ここに自分の中の優先順位とバイトの人達とのジレンマが発生する。 時に優先順位は入れ替わってしまうわけだ。 でもよくよく考えてみれと人といかに良好な関係を保つのかということが、自分の人生をどれだけ豊かにするのかに繋がっていることを考えると自然なことだとも思う。 限られた時間の中で、自分が楽しみ成長を考えかつ人との関係を保つことは全体のバランスをとる事が必要。 当たり前なことと言っちゃ当たり前なことなんだけど、意外と頻繁に自分勝手な都合で動いてしまったり人からの好意を無駄にすることだってあるんだよね。 しかも気遣いない。 最終的に自分の優先順位を考えるときは、自然と周りとの相関も考えてる。 自分が楽しみて幸せになるためには、周りの人も同じようになることに他ならないから他の人の心情をも察する必要がでてくる。 難しいことだけど、これからも周りとのバランスを日々調整・再調整していきたい。 ![]() 『AND JUSTICE FOR ALL』 アル・パチーノが弁護士に扮し、腐敗しきった法曹界に対し立ち向かう。 自分の倫理感と職務の矛盾に悩み、己の無力さの葛藤を抱える。 無罪の人をその人の人種、住んでいる環境により刑務所に投獄されるのは映画とはいえ目に余った。 それは絶対におかしいことだとアルパチーノは激しく反論するものの無実の証拠提出が数日遅れただけで無実の人が実刑を受けた。 映画の中ででていたセリフで、「適当な罰ではなくて、不当な罰が必要だ。 人々は犯罪に愛想をつかしている」といった台詞もあった。 たしかに。 世の中、理不尽で許せない犯罪が蔓延している。 それも大まかに二種類存在する。 ・頭の良い連中らの犯罪で「騙されるほうが悪い。弱い奴は不当に搾取されて当然という弱肉強食論からくる犯罪。 ・世の中でその各々の社会において弱者だといわれる部類に値する人達の窃盗等の 犯罪。 二つは共にアンバランスなところかつ人間の欲望と弱さからくるものだと思う。 そういったことから法律を学び、人々を守るためにあるはずの法曹も疲れ自分の倫理感も狂ってくることもあるのだろう。 しかし多くは、世の中こんなものだというところからくる弁護士としてその有利なポジションを使ってどれだけお金を取ろうとすることばかり考えるようになった人が多いような気もする。 もちろん、法曹の業界は自分の倫理感を大切にしいかに正しい事を行うかを追求する人の方が多いだろう。 そう信じたい。 やはり、問題は法律の形ばかりを大事にしているところであって、人として何を大切にすべきかというところを忘れている、いや、無視しているところなのではないだろうか。 法律だからといって、無実なのに、無実のための証拠書類の提出が少し遅れたからって有罪にするのはばかげてる。 決まりは守るためにあるし法律を法曹が守らないのがおかしいというのはいかに馬鹿なことだろうか。 それこそ私利私欲がからんだための捻じ曲がった部分。物の勝ち負け、お金や保身ばかりを気にしすぎて、間違った弁護をし勝とうとすることだって馬鹿げている。 いくら、世の中を生きていくために仕方のないことだからといって、要領よく頭を使って、その時々において頭を使いうまく生き抜いていく人の生き方なんて僕は認める事ができない。世の中にはそんな人が多すぎる。 自分は何のために生きているのか。 というかどうすれば自分の人生を胸をはって真っとうに生きるのかを考えるべき。 それらも人それぞれだといわれるかもしれないけど、僕個人の考えとして間違っていると判断できることは間違っていると主張していきたいし、際どい判断を下すときでも、胸を張って生きていけるような判断を下していきたい。 この映画はアメリカで特に有名な法曹界の腐敗したシステムを題材にしたものだったけど、世の中に対しても言える良い映画だったと思う。 仕事とはいえ自分の倫理感に反しているものは断固拒否できるのか。 自分の生活やキャリアも掛かかるし、これを実行することは非常に難しい。 だからといって過った判断だとわかっているのに自分または自分を取り巻くそれ以上の大きな組織が有利になるからといって過った判断を下すのもどうかと思う。 こういった事はもっと深くみんなが考えなければいけなく、そしてそうでありたいという自分の願いであることは本当に心から思っている。
いつの間にやら114円50銭に突入してました(円高方向へ)。
年明けにはアメリカの利下げや双子の赤字、住宅バブル問題などを材料に110円を目指すようです。 シティバンクの口座も開設したし、そろそろタイミングを狙ってドルを拾っていきたいと思います。 円高どこまでいくか見もの。 長期的にみると円安(それもかなり大幅な)方向へ行くものの、円高へ進む可能性もないことはないし、でもリスクヘッジのために外貨は必要ですよね。 卒業旅行も控えてるし、短期的にはものすごく円高に振れてほしいな。 輸出比率の多い企業には利益減少をもろにうけるわけだから辛いだろうけど。
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